野球

グラブ(グローブ)のルーツを知りましょう!!

2017年11月24日 (金)

【グラブ(グローブ)のルーツ】

■1840年代前半

アメリカでベースボールが考案されました。

その頃まだグラブはなく、素手で守備をしていたそうです!!

 

初めて野球グラブ(グローブ)が市販されたのは、それから約30年も経った1875年頃です。

手のひらと甲を革で覆っているだけの、指なしの革手袋のようなものだったそうです。

目的は、捕球時に手のひらの痛みを防ぐためだけに着用。

(当初は両方の手にはめていたといいます)

 

1886年初めて指先まで隠れるパッド入りグラブが登場し、シングルハンドキャッチが可能になりました!!

ベースボールにとって革新的でしたが、まだグラブというよりは「革手袋」といった印象。

 

1887年、ジョージとアルフレッドのローリングス兄弟によって「ローリングス社」が設立。

この工場でグラブ(グローブ)はどんどん進化し、1920年頃、劇的な変化を遂げました。

 

セントルイス・カージナルスの速球投手「ビル・ダーク」のアイデアで、親指と人差指の間にレース(紐)を通したのです!!

それがウェブの起源となり、ボールを確実にキャッチするためのポケットができました。

当初は浅いポケットでしたが、この発想こそが、現在のグラブ(グローブ)形状の原点といえます。

このグラブの登場で、捕球技術は目覚ましい進歩を遂げ、【ビル・ダーク・モデル】として30年もの間、メジャー選手に愛用されていたそうです!!

 

1947年、グラブ職人のハリー・ラティーナが、親指と小指にループをつけました。

これが今で言う「指かけ」です!!

より確実に捕球するためのアイディアで【ラティーナ・フィンガー・ループ】として一世を風靡しました。

 

このようにグラブ(グローブ)は幾たびもの進化を遂げ、その後も新モデルが次々と世に送り出されてきたのです!!




<日本のグラフのルーツ>

 

日本のグラブ(グローブ)のルーツは奈良県から始まりました!!

国産の8割近くを生産。

その中心となる町が、奈良盆地の中央に位置する三宅町但馬だそうです。

 

日本国内でグラブを使用するようになったのは、1890年代半ばのことです。

1922年(大正11年)頃になって野球ミットの生産技術が導入され、国内で生産が開始されました。

最初にその製造を手掛けた人が、奈良の坂下徳治郎さんだそうです。

坂下さんは革を包丁で裁断する技術があったことで、スポーツメーカーからの依頼を受けました。

グラブ作りに魅せられた坂下さんは、これを自分の仕事にしようと考え、縫製は弟さんが行っていたとのことです。

こうして外国から伝わったグラブを研究して国産のグラブ生産が始まったのです!!

 

当時の代表的なグラブとミットの大きな特徴は、ポケットが中心にあるということ・すべてがコンパクトだったことです。

手がむくんだような野手用グラブは、すべて指が立っています。

見るからに握り替えが早くでき、親指が効くグラブです。

さらにキャッチャーミットは「あんぱん型」ミットで、ファーストミットもタテ型で親指が効いています。

すべて小ぶりで、ボールが自然にそのポケットに収まる、基本に忠実な捕球が可能なグラブです。

(これらは三宅町で管理されているそうです)

 

学生野球の発展とともにさらに盛んになっていったグラブ製造。

第二次世界大戦中は一時中断されましたが、戦後、スポーツが盛んになって生産活動は復活!!

地場産業として成長しました!!

昭和31年頃からはアメリカへの輸出が始まり、飛躍的に生産量が増大しました。

現在は、全盛期に比べると製造量自体は落ち込んでいますが、それでも国産グラブの大半は三宅町を中心として作られているという事実は変わりありません。

 

 

 

グラブ(グローブ)の歴史もとても深いものです☺

調べれば調べるほど色々な発見がありさらにグラブの魅力へと落ちていきます!!

もう野球人にはたまりません!!

スタッフ

松浦 健まつうら たけし

4階)野球専門フロア

【ニックネーム】 タケシ 【誕生日】 9月8日 【趣味】 スポーツ観戦・ドライブ 【一言コメント】 皆さんのスポーツの手助けができるようがんばります!! 宜しくお願いします。

【ニックネーム】 タケシ 【誕生日】 9月8日 【趣味】 スポーツ観戦・ドライブ 【一言コメント】 皆さんのスポーツの手助けができるようがんばります!! 宜しくお願いします。

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